少数意見と合意形成

丹波新聞社さん、昔からこういう記事の書き方をされてたでしょうかね?(良い意味です。)

公平性と民主主義と

先日、所属している総務常任委員会で山南地域の中学校統合についての説明が教育委員会からありました。

その場の主なやりとり、丹波新聞(5月27日付)から引用します。

 西脇秀隆市議の「和田地区から委員を送らない、市教委が和田地区への説明に行けないと和田地区から聞いている。(統合位置を山南中央公園とする)市教委の案では一番和田地区への影響が大きく、丁寧な説明が必要では」の質疑に、同市教委は「和田地区のみに説明するのではなく山南地域全体に話をしたい」とした。

この市教委の判断、どうなのでしょう。

ものごとを決めるにあたって、すべての利害関係者に公平に接したいということかと思います。一地域にだけ説明する考えはない。そこは市教委、譲られませんでした。
だけどこの公平性を保とうとする姿勢、少数意見に寄り添わない姿勢につながる懸念を抱きます。なんというのかな、大きな正義って、小さな幸福とは必ずしも一致しないですよね。再び丹波新聞から引用します。

 準備委員会設置後に和田地区のみの説明を行う可能性について聞いた小橋昭彦市議の質疑に市教委は「準備委員会の協議の中で和田地区への理解が必要なら説明する機会を持ちたい」とした。

少数の声にも耳を傾けるという回答とととらえ、民主主義にとってその姿勢が重要であると指摘したうえで、ここまでにとどめました。

民主主義は最悪の政治形態、ただし……

とつぜん「民主主義」なんて大きな言葉を使ったものだから、教育委員会もびっくりされたかもしれません。
ぼくにとっての基本姿勢があって、そこだけは伝えておきたかったのです。

民主主義は人民が自ら決めていく政治形態です。日本の政党にも自由民主だ立憲民主だ国民民主だとありますが、ともあれ、「民主」は基本のようで。

しかし英国の首相、チャーチルが言ったように、「民主主義は最悪の政治形態だ。ただし、これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」です。
民主主義における決定方法の基本は多数決ですが、多数決にも欠点は多い。しかしそれに頼らざるを得ない。まずこの謙虚さが必要です。

じゃあ、民主主義の最後の砦はなにか。

ぼくはそれを、新しい事実が出ればいつでもやりなおせること、と考えています。

そして「最悪の政治形態」でありつつ民主主義を選択せざるを得ないのは、多様な意見に耳を傾けて議論を重ねることで、最良でないかもしれないけれど最善の結論として誰もが納得できるプロセスを形成できる、これ以上の方法が(今のところ)無いからと考えています。

ですからぼくは、多様な意見をまずは出し合い、それらの中からより高い次元での結論を見出していく(哲学用語でいうアウフヘーベン)やり方を好みます。
そういう目線からは、今回の市教委の進め方、少し違うような気もしていて。これからの民主主義は少数意見から出発する方向に向かうと予測しているのですが(これについてはまた書きます)、その時代への備えを、ぼくたちはできているでしょうか?

公平にという教育委員会の考え方も分かるので今回は良しとしましたが、今後も見守ってまいります。

地方政治と地域メディアのあり方

ところで、冒頭の丹波新聞への賛辞。引用した記事から分かるように、個別議員名を出して、議会での質疑を再現されているのですね。こういうスタイルの記事って、これまでそれほど多くなかったのではと。

こういう報道が増えてくると、議会のやりとりが具体的に市民の方に伝わりますよね。そして議員も、報道(つまり市民の眼)をいっそう意識して質疑するようになります。そのことが、議会での議論の充実につながります。
ですから議員の顔が見える報道って、政治への関心を高め、その質を高めるために重要だなぁと。

丹波新聞社さん、期待しています。

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