ポピュリズムとは何かと聞かれて、どう答えよう?
大衆の人気をとる政治家といった印象でしか答えられない。大衆の声を反映するのであれば、それもまた民主主義といえるだろうか。
本書においてヤン=ベルナー・ミュラーは、それを真っ向から否定している。ポピュリズムは民主主義の脅威であると一刀両断だ。
ミュラーはポピュリズムの定義を次のように言う。
- ポピュリズムは反エリート主義の形をとる
- ポピュリズムは反多元主義である
どういうことか。
1点目の、ポピュリストが既存エリートに対して批判的であること、これは納得できる。その批判は時として正当でもある。
問題は2点目、それが「反多元主義」であることなのだ。ここに本書の主張の特徴がある。
ポピュリストは、自分たちが(エリートという特権階級でない)人民の代表であると言明する。それだけではなく、自分たちだけが人民の代表であると主張するのだ。
そこには他者を排除する姿勢がある。非ポピュリストが世の中に多様な意見があり自分たちだけが正しいことがあり得ないことに自覚的であるのに対して、ポピュリストにとって彼らの主張が人民のすべてなのだ。その主張に反するものは「敵」となる。
それならポピュリストが政権をとったとき、戦う相手を失い立脚点が無くなるのではないか。ミュラーは言う。そんな希望は無いと。
ポピュリストは、人民を二極に分裂させ続け、自らが人民と共に戦うという対立構造を作る。たとえば仮に失敗しても、エリートが裏で工作したためと主張する。
これを前提とすると、ポピュリストが政権にある限り、分断と対立は生産され続ける。
本書ではベネズエラのチャベスなど各国の事例もとりあげられているが、やはりどうしてもトランプのアメリカを意識しながら読み進めざるを得ない。
そして、プラグマティズム(可謬主義や多元主義を唱えた哲学思想)を生んだアメリカがこのような状況に陥っていることに、暗鬱となる。
では、われわれはポピュリズムにどう対すべきか。
まずはポピュリズムが人民と政治の距離を縮めるという幻想を捨てること。逆に民主主義の危機であることを意識すること。
その上で、これまで社会から見捨てられてきたと感じてきた、ポピュリストに共鳴する人々の声に耳を澄まさねばならない。
そして多元主義の重要性という、より道徳的な問いに向き合うこと。
結局、とぼくは思う。プラグマティズムそしてハーバーマスらの知恵をあらためて参照する必要があるのではないか。
幸い、日本では欧米ほどにポピュリズムの台頭が見られない。それでも、格差の広がりとデジタル化の進展が社会の分断を生みやすい状況を作っている。
民主主義を危機に陥れないために、今ほど多元的な考え方を包容する対話の知恵が求められている時代はない。
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