生き心地の良い町を目指して~丹波市の自殺率をめぐって~

いよいよ昨日、6月議会が開会しました。

今朝のニュースで、日本の自殺率(平成26年)が10万人当たり19.5人、世界ワースト6位ってありました。今回はそれに関連する話。
参考までに、丹波市の自殺率は、平成18年~20年の平均が30.0、平成21年~23年は20.3となっています。直近では、平成24年は男性42.7と女性11.2、平成25年は男性25.6と女性23.1、平成26年は男性48.5と女性8.8です。

前回のブログで、まちに「多様性」を育むことの重要性について、リチャード・フロリダの『クリエイティブ・クラスの世紀』をもとに、主として経済的な発展の観点から紹介しました。

そこでも触れましたが、多様性は「さまざまな生き物」「さまざまな文化」「さまざまな人材」など、それこそさまざまな側面を持ちます。
ある人にとっては、生物多様性こそ重要かもしれませんし、ある人にとっては、ユニバーサル社会つまり障がいなどを持たれた方でも普通に暮らせる社会こそ多様性かもしれません。

2013年に発行された『生き心地の良い町』(岡檀)という書籍があります。徳島県海部町について調査したレポートです。
この町の自殺率(10万人あたりの自殺者数)は8.7(30年間の平均値)。冒頭の日本の数値と比べても低いのは歴然ですが、両隣の町は26.2と29.7と聞くと、がぜん、この町に何があるのか、気になります。

なぜ海部町はこれほど低いのでしょう。見いだされた「自殺予防因子」が次の5つ。

  1. いろんな人がいてよい、いろんな人がいたほうがよい
  2. 人物本位主義をつらぬく
  3. どうせ自分なんて、と考えない
  4. 「病」は市に出せ(人に公開しろ)
  5. ゆるやかにつながる

この最初にあげられている「いろんな人がいてよい、いろんな人がいたほうがよい」というのが、まさに多様性を受け入れる姿勢であり、寛容性です。
地域性はあるでしょうが、丹波市の場合、案外、この考え方をしている人は少ないかもしれません。

社会心理学調査に、「あなたは一般的に人が信用できますか」という問い(一般的信頼感と言います)があります。

この問いに「はい」という人の割合、日本とアメリカではどちらが高いと思いますか。
大好きな本『信頼社会と安心社会』(山岸俊夫)にも出てくるエピソードですが、アメリカなんですね。財布を落としても返ってくる日本だと思いがちなのですが、日本人が信じているのはそういう社会(安心社会)であって、人(への信頼)ではないということです。

で、海部町。この質問に対して、「はい」と答える人の割合が高いのです。社会ではなく、人それぞれに個別に対面して信頼を築いている、「いろんな人」と関係を築いている様子が想像できる結果です。

丹波市の場合はどうでしょうか。もしかすると、安心社会を保とうとするあまり、「いろんな人」を排除しがちなところがあるかもしれません。
そうするとたとえば病気になったら「人様に迷惑をかける」って思ってしまって、自らを社会から切り離そうとしがち。そんな社会だと、息苦しいです。若者や移住者だって、新しい挑戦をしづらいし。

丹波市での一般的信頼感を調べた上ではないので、このあたりは印象論にすぎません。仮説のひとつとして検証しつつ、政策につなげられたらと思います。

『生き心地の良い町』、他にも面白い指摘があるので、次回に続きます。

文化というか、風土に関わることなので、変えるのは大変だとは思います。でも、「多様性を認める」ことが、この丹波市を「生き心地の良い」まちにすることにつながると、そんなことを確かめられた一冊でした。

2010年前後の丹波市で起こったこと、私的雑感

昨日の投稿に関して、少し補足を。

引用した2014年1月の投稿で、途中、ティッピングポイントという表現をしています。徐々に動いていたものごとが、ある境界を超えて急激に大きな動きとなるポイントのことです。市内における市民主導の活動が、ティッピングポイントを超えてきたと、当時のぼくには思えていました。
あるいはあの時期は丹波市の転換期であったかもしれないので、ぼくの目に映っていた風景を時系列で簡単にメモしておきたいと思います。

2008年7月(それ以前の動きは省略します)。「ふるさと丹波市定住促進会議」の委員となり、さっそく『丹波から、挑む。』としてチャレンジする若者を呼び込むキャンペーンに着手しました。志を同じくする民間委員さんとともに、自分で職を作るような若者を呼び込むことに力を入れようと意気投合したのでした。
もっとも、さっそくこの年実現した、慶應義塾大学ビジネススクールと共催してのオンラインスクール「地域起業家養成研修」では、わずか3名の受講生を集めるのにも苦労しました。「挑戦したい」という若い人たちのコミュニティが、市内では形成できていなかったのです。今では信じられないのですが、だからこそ、記しておきたいと思います。

2009年は、引き続き定住促進会議を母体に「地域起業家養成研修」を開催、独身男女が田植えから酒造りまでを一緒する「恋の酒プロジェクト」を開催したりしました。
個人的には、地元でのこども園設立(保育園と幼稚園の統合)に関わる一方、春日町森林同好会の方と一緒に山整備にあたり、その方々にも協力いただいて園舎のそばに「大路こどもの森」を整備したりした年でした。

2010年。10月に友人3名と「たんば哲学カフェ」を主宰。月1回平均で、2013年6月にかけて断続的ながら二十数回。
開催を決断した背景には、さまざまな市民活動が増えてきたなか、人と人が交流する場を作りたいという思いがありました。時を同じくして「朝読書会」が始まったことを思えば、いわゆる「カフェ的」な場が求められる頃でもあったのでしょう。

この年になってカフェ的な場の必要性を感じたということは、前年までと変わり、こうした場に一定の人数は集まるという手応えを持っていたということでもあります。
2010年当時よく利用していたのはTwitterだったのですが(facebookは登録したという程度)、徐々に「つながり」を感じるようになっていたということかもしれません。
その頃ぼくの目に映っていた市民活動は、たとえば次のような団体でした。

奥丹波蕎麦人会、県立柏原病院の小児科を守る会、丹波医療再生ネットワーク、丹波有機農業研究会、関西大学佐治スタジオ、NPOサウンドウッズ、循環型まちづくりネット、草莽塾、ダントツ経営☆戦略実践会、たんば・田舎暮らしフォーラム実行委員会、NPO法人丹波里山くらぶ、NPO法人丹波まちづくりプロジェクト(地域通貨未杜)、NPO法人いちじま丹波太郎、NPO法人Tプラス・ファミリーサポート、森のムッレ協会、NPO法人バイオマスフォーラムたんば(里山ごんげんさん)、東芦田まちづくり協議会(セツブンソウ祭他)、ひょうたん会、NPO法人ほっと丹波、氷上町東地区国際交流協会、春日のクラフト作家たちの連携、その他。

もちろん、これらの活動は従来からの活動だったのですが、それらの間で「つながる」という思いをリアルに感じ始めたという点では、あるいはこの頃が転換点であったかもしれません。

2011年。先にあげたような比較的古くからの活動に加えて、「歌とピクニック」が開催されたり「農業グランプリ」がスタートしたりして、新しい市民活動が目に見えて増えてきた年だったように思います。東日本大震災があって、移住を希望される方が増えた年でもありました。
ぼく自身は、前年秋に立ち上げたNPO法人北近畿みらいの事務局長として、新しく社員も雇用し、綾部市、福知山市、豊岡市、篠山市などとの連携事業に走り回りました。
またこの年、丹波市でコミュニティFMを実現しようという研究会がスタートしました。定住促進会議では「古民家劇場」と銘打って空き家活用事業を立ち上げました。

あくる2012年。「グライネ」による若者意見交換会や「丹波ハピネスマーケット」「ローカルキャリアカフェ」などが始まりました。
地元小学校区では、NPO法人北近畿みらいで主催した「半農半Xツアーin丹波市」をきっかけに「大路未来会議」を結成。
実は株式会社ご近所の設立もこの年のことで(本格的な活動は翌年から)、当初はコミュニティFMの運営母体と考えていたのですが、これは後に断念しました。(その後NPO法人コミュニティ・ネットワークが設立されて実現しました。)

丹波市からの委託を受けて「地域プロデューサー養成講座」を開講。ここ1、2年の新しい動きに関わっている人たちが多く参加、さらに連携を広げるきっかけになりました。
また、丹波市の「地域資源活用懇話会」の会長を務めさせていただいて、民間委員さんと知恵を絞ったのですが、これは後に新生「ご近所」の方向性を定めるのにおおいに役立ちました。
篠山市での神戸大学フィールドステーションを中心にした「Lural Learning Network(るーらん)」という学びの場開設に関わったのもこの年のことです。
また、旧知の友人を訪ねて隠岐諸島の海士町を訪問、若者の移住が増える現地の様子を視察し、「やっぱり人が人を呼ぶんだ」と割り切ったのも2012年でした。

そして2013年。前年から進めていた大路こどもの森のツリーハウスが完成し、大路未来会議を母体にシェアハウスができるなど、地元でもにぎわいが本格化、4月からは森を舞台にした「あそびの学校」も実現しました。
少しだけ遡って2012年後半から2013年初頭にかけては、「cafe ma-no」「みんなの家」など、今ではみなさんの交流拠点となっている場がオープンしています。
11月。方向性を大きく変えた株式会社ご近所に人を雇い入れ、オフィス物件も地元で見つかって、本格的に稼働を始めます。シェアハウスとして利用できる空き民家も運よく契約でき、移住者だけで立ち上げようと思いきれたのは、以上に述べたような「丹波に向かう人の動き」を実感していてこそでした。

2014年は、こうした熱気の中で、お正月を迎えたのです。

下記の写真は、2010年10月、哲学カフェ1回目の写真です。テーマはそのものずばり「哲学」でした。テーブル上には、各自が関連した書籍を持ち込んでいました。

生物進化も、地域づくりも、多様性がキモになる

誕生日も過ぎて、52歳になりました。ソーシャルメディア上では誕生日を隠すことにしたのでSNS上でのお祭り(笑)もなく、家族及びごくごく親しい人からだけお祝いのメッセージをいただき、しっとり一日を過ごしました。

さて。新年最初の投稿となります。あけましておめでとうございます。

今回は2014年、3年前の誕生日にfacebookに投降した内容を再掲することにしました。
3年前のその日、たまたま会社で主催していたセミナーの終了後、出席者の皆さんからサプライズでお祝いをいただくという、人生でいちばんにぎやかな誕生日を過ごしました。ふだん、内面を吐露する投稿はほとんどしないのですが、この日は特別に、感謝の気持ちをエネルギーにして書き綴ったものです。それだけに、ぼくが大切にしているコアな価値観、地域づくりに取り組むにあたっての考え方について、ストレートに書いています。

(以下2014年1月4日の投稿から引用)

情報社会を迎えるにあたって、経済社会での基準とは違った社会のあり方を生み出したいと、丹波に帰ってきて12年が過ぎました。その間、何かを成し遂げられたわけではありませんが、多くの方と知り合い、伴に時間を過ごすことができました。

ぼくは基本、過去を語ることはしませんし、その方の過去や背景も気にしません。今、その時ともに過ごす時間において、自分がその方に何を提供できるかがすべてと考えていますし、伴に創り出す未来へ向けた価値こそがすべてと考えています。

だから今日、こうして多くの方からお祝いをいただいたとき、それが、たとえ少しでも、そうして積み上げてきた価値の結果だったらいいなぁ、幸せだなぁと、そんなことを感じていました。

詳細は省きますが、昨年から今年にかけては、丹波に帰ってからの12年間の中でも大きな動きがありましたし、また、今年も動くことになろうと思います。

ときに「どんな地域づくりを目指しているの」と尋ねられます。それへの返答が、実はこの長文でもっとも書きたかったことなのですが、たぶんここまで読み続けられていらっしゃる方はいないと思いますし、それを正面から書かずに後回しにしているっていうのは、もっとも書きたかったけれど、読まれるのは恥ずかしいという内容でもあります。すみません。

先に単刀直入に。ぼく自身は、クリアなビジョンを持っていません。はい、実はそうなのです。もちろん、持続可能性であったり、生物多様性であったり、子どもたちにとっての体験の価値であったり、寛容と信頼と利他の精神であったり、そうした個々の基準で守りたいと考えている基本的な価値はあります。だけど、具体として、どのような地域社会を作りたいかというビジョンは描いていません。

ぼくはそれを、多くの方から伺いたいと願っています。そして、その実現に少しでも力になれたら、それほど幸せなことはありません。

視点を変えて言い直せば、それら多様なビジョンを持った方々が、それぞれに取り組みを行う活動の豊かさこそ、地域を元気にしていくのだと考えています。

生物進化がそうなのですが、遺伝的に多様であるからこそ、災厄が起こっても一律に絶滅することなく、どれかの遺伝形態が未来に子孫を残していくことができる。それと同じように、地域という種も、ある特定の取り組みのおかげで活性化するというのではなく、いまここに多様な取り組みがあるからこそ、世の中の流行り廃りに流されることなく、未来につないでいくことができると信じます。

遺伝的な多様性は、交配や突然変異によって生まれます。さいわい、丹波には今、外からも多くの(文化的)遺伝子が入ってきているし、内でも異種の組み合わせに挑戦する土壌ができてきている。特にこの数年の加速感は、あきらかにティッピングポイントを超えた気がします。理論がいうように、それは特定できるひとつの力じゃなく、この長文にここまでおつきあいいただいたあなたであり、あなたでありの力の集積によるのだと、ぼくは感謝しています。

願わくは今年、丹波がそうした多様な挑戦に満ちた地域だと全国の方々にお知らせすることができたら。そして、内から外から、この動きに加わっていただける方がさらに増えたら。

そんな動きに少しでも貢献できるなら、これほどぼくを幸せにすることはありません。ぼくはいつも、いつでも応援いたします。

(引用以上)

写真は、その日いただいた花束。
途中、詳細を省いているところ、「ティッピングポイント」のところの解説については、明日の投稿で。

丹波市は「寛容」なまちであった!

昨日は、この地域で長く農業振興に携わってきた方とお話をさせていただきました。

その方が、「丹波市は結構、新しい人を受け入れるまちだ」とおっしゃっていて、それがとても印象的でした。「田舎って閉鎖的」ってよく言われるけど、丹波市はそうではない、という言葉を、こうして長く地域と関わってこられてきた方からうかがえたのは、あらためて、ぼくにこのまちの可能性を信じさせてくれました。

確かに、これはぼくも経験から思うところですが、丹波の人って、何か新しいことを始める人がいたとき、「ふーん、やっとるやん」って受け入れてくれるんですよね、どちらかというと。だから、そういう点は、とても寛容。ただ、これはその方とも笑いあっていたのですが、それは必ずしも、応援するってことではなくって、「しゃあないやっちゃ」くらいの、ちょっと苦々しく思っている感じかもしれない。だけど、ここが重要なところだけど、決して排除しようとする方向ではないんです。

ぼくも、どちらかというと突飛なことを思いついて活動してきました。まあ、地域から浮いている面は否定できない。人見知りなので、愛想が良い方じゃなく、うさんくさいって思われたりもします。つきあいが悪くて、ごめんなさい。でも、それでも、出て行けってまでは言われない。それはやはり、この地域の文化が持っている度量で、それが、地域に多様性をもたらし、未来への種となる。

足利尊氏幽閉以来の度量ではないかと、その方はおっしゃっていましたが、そう考えると、丹波市は、クリエイティブシティに欠かせない寛容性を、まさに備えているわけで。あらためて、丹波市の可能性に気付かされたことでした。

多様性こそが地域の未来の礎になる

友人から、2年前の誕生日にぼくが書いた投稿を教えてもらって、あらためて読み返して、ああ、変わってないな、この思い、と感じたので、あらためて引用します。

その日は、多くの方からメッセージをいただき、おまけに、会社で開催したセミナーの場でサプライズでお祝いをいただくという、そんな一日だったのでした。

 

(前略)情報社会を迎えるにあたって、経済社会での基準とは違った社会のあり方を生み出したいと、丹波に帰ってきて12年が過ぎました。その間、何かを成し遂げられたわけではありませんが、多くの方と知り合い、伴に時間を過ごすことができました。

ぼくは基本、過去を語ることはしませんし、その方の過去や背景も気にしません。今、その時ともに過ごす時間において、自分がその方に何を提供できるかがすべてと考えていますし、伴に創り出す未来へ向けた価値こそがすべてと考えています。

だから今日、こうして多くの方からお祝いをいただいたとき、それが、たとえ少しでも、そうして積み上げてきた価値の結果だったらいいなぁ、幸せだなぁと、そんなことを感じていました。

詳細は省きますが、昨年から今年にかけては、丹波に帰ってからの12年間の中でも大きな動きがありましたし、また、今年も動くことになろうと思います。

ときに「どんな地域づくりを目指しているの」と尋ねられます。それへの返答が、実はこの長文でもっとも書きたかったことなのですが、たぶんここまで読み続けられていらっしゃる方はいないと思いますし、それを正面から書かずに後回しにしているっていうのは、もっとも書きたかったけれど、読まれるのは恥ずかしいという内容でもあります。すみません。

先に単刀直入に。ぼく自身は、クリアなビジョンを持っていません。はい、実はそうなのです。もちろん、持続可能性であったり、生物多様性であったり、子どもたちにとっての体験の価値であったり、寛容と信頼と利他の精神であったり、そうした個々の基準で守りたいと考えている基本的な価値はあります。だけど、具体として、どのような地域社会を作りたいかというビジョンは描いていません。

ぼくはそれを、多くの方から伺いたいと願っています。そして、その実現に少しでも力になれたら、それほど幸せなことはありません。

視点を変えて言い直せば、それら多様なビジョンを持った方々が、それぞれに取り組みを行う活動の豊かさこそ、地域を元気にしていくのだと考えています。

生物進化がそうなのですが、遺伝的に多様であるからこそ、災厄が起こっても一律に絶滅することなく、どれかの遺伝形態が未来に子孫を残していくことができる。それと同じように、地域という種も、ある特定の取り組みのおかげで活性化するというのではなく、いまここに多様な取り組みがあるからこそ、世の中の流行り廃りに流されることなく、未来につないでいくことができると信じます。

遺伝的な多様性は、交配や突然変異によって生まれます。さいわい、丹波には今、外からも多くの(文化的)遺伝子が入ってきているし、内でも異種の組み合わせに挑戦する土壌ができてきている。特にこの数年の加速感は、あきらかにティッピングポイントを超えた気がします。理論がいうように、それは特定できるひとつの力じゃなく、この長文にここまでおつきあいいただいたあなたであり、あなたでありの力の集積によるのだと、ぼくは感謝しています。

願わくは今年、丹波がそうした多様な挑戦に満ちた地域だと全国の方々にお知らせすることができたら。そして、内から外から、この動きに加わっていただける方がさらに増えたら。

そんな動きに少しでも貢献できるなら、これほどぼくを幸せにすることはありません。ぼくはいつも、いつでも応援いたします。

すみません、これほどストレートにものを書くことはまれです。つまり、みなさんの活動は素敵だと、花束を受け取るのはぼくより皆さんがふさわしいと、そんな感謝の言葉を贈りたかったのです。ありがとうございました!