共同体の基礎理論―自然と人間の基層から―

共同体の基礎理論―自然と人間の基層から (シリーズ 地域の再生)
近代化のなかで「共同体」は解体すべき対象であったという、「まえがき」でも述べられている視座が、本書の確かな土台となっている。

その「共同体」が今、あらためて未来へ向けた可能性として期待されている。この期待を語るとき、ぼくたちは安易に「人間関係(縁)」「思いやりのネットワーク」といった言葉で語ってしまいがちだ。
しかし、そもそもぼくたちはなぜ、「共同体」を解体しようとしたのか。「共同体」の何を乗り越えようとしたのか。本書はそこから語り起こす。そして、「共同体=人間関係」という単純な図からは見えない風景を見せてくれる。その過程が、とてもスリリングだ。

明治以降の日本において、「共同体」を否定する三つの流れがあったと内山さんは言う。具体的には次の3つの流れだ。

  1. 社会主義思想社会主義思想の影響を受けた共同体の否定論。共同体を封建的なものとみなし、資本主義による解放ののち、さらに社会主義に発展するという、歴史の進歩を前提とした考え方だ。
  2. 市民社会派欧米的な市民社会を目指すリベラル派にとっても、共同体は解体すべきものとされる。
  3. 体制側の狙い人々を国民という個人に変え、その個人を国家システムが管理しようとする体制側の狙いも、共同体の解体を必要とした。

どのような立場からも否定される、共同体はまさに四面楚歌という印象だ。

では、共同体の解体は、具体的にはどのような動きとして現れたか。

まずは、神仏分離、修験道の廃止などを通じて、共同体が自然や宗教から分離され、「個人=国民」が見出されていく。

個人となった国民は、国家のため、中央を目指す。ここで、「ふるさと」などの文部省唱歌は、故郷を離れて国家のために立身出世する国民という、共同幻想を背景にしているという指摘にはっとさせられる。

こうした共同体の解体は、実は第二次世界大戦まではゆるやかに進み、高度成長期になって究められたのだという。

その後、共同体解体への反省という流れが出てきたのだが、それでもなお、人生の過程に「故郷を捨てる」段階を前提とする考え方が、今も息づいていることを省みざるをえない。(こうした見方をベースにすれば、『坂の上の雲』に描かれる向上心とともに東京を目指す人々の姿にも、複雑な思いを抱かざるをえないわけだが。)

個人という言葉は明治生まれの言葉だが、その言葉の導入と共に、日本人は「自分」を見失ってしまったのではないか。かつての日本人にとって、自分を究めるということの理想は、修業を通して「自我を捨てる」ことにあったはずである。

それはすなわち、「ジネン(自然)」に身をゆだねることであった。

これに対し現代における修業は、「自分を探す(アイデンティティを確立する)」ことにあるらしい。この場合アイデンティティは、ジネンのものではなく、人工の概念だ。残念ながら、その確立の向こうにあるのは、人間だけの殺伐とした風景にすぎない気がする。

自らを究めることにに対するスタンスが、江戸と現代では180度変わってしまっている。これは驚くべきことではないか。

さて、そのようにして否定されてきた日本的な「共同体」とはどのようなものであったか。

内山さんが述べるその特徴は、山村に暮らした経験を土台にしており、農村に暮らすぼくにとっても、ひじょうに納得できるものだった。

まず何より、日本の共同体は、人間同士の関係だけではなく、自然との関係を含んだものとしてあった。たとえばぼくの住む集落でも、「村入り」することは村社の氏子になることを伴うが、これは神社を通した自然との関係(森の鎮守、豊穣の祭りなど)が、村の営みにとって不可欠だったからこそだろう。こうした側面は、欧米的市民社会におけるコミュニティ論からは見えない風景に違いない。

また、地域の共同体は「多層的共同体」であるとも内山さんは言う。共同体が多層的であるとは、ある地域共同体というとき、それをひとつの人間関係として見るのではなく、その中にさらに小さな共同体も営まれているものとして見ることを指す。このように見ると共同体の定義が厳密でなくなるかもしれないがと内山さんは断っているが、ぼく自身、かつて地域を多層のプラットフォームからなるものとして論じたこともあって、地域共同体を多層的共同体としてみるべきという指摘には大いにうなづいた。

こうした多層的共同体は、農村だけの特徴ではなく、近世までの都市でも見られた、と内山さんは言う。それはたとえば「富士講」や「善光寺講」のように、信仰と結びついたものであったりもした。講というのは、みんなでお金を出しあい、代表者が信仰の地へ出かけてお札をもらってくる仕組みだ。ぼくの村にも「伊勢講」と呼ばれる集いが今もあるが、幼い頃、父のバイクの荷台に乗って、寒い中を元伊勢神宮までお札をもらいに出かけたことを覚えている。

今、「新しい公共」に注目が集まっている。そのひとつの例に、住民たちが有志で設立した京都の番組小学校があげられることが多い。えてしてボランタリーな、自主的な市民意識に期待を求められる「新しい公共」だが、番組小学校が可能だった背景に、このような講に代表される伝統的共同体の多層性を見るべきだと、ぼくは考えている。

こうして今、共同体の価値が見直される中にあって、多層的共同体の考え方をもってはじめて可能な未来への道筋が見える。

ぼくたちは、地域共同体の再構築を目指すことはできない(難しい)。しかし、小さな共同体なら、構築していける。それら小さな共同体を、欧米の市民社会的なテーマ型というよりも、自然を含む「営み」として構築していけるかどうか。そのことが、ぼくたちに問われているのではないか。

残念ながら、その先の共同体の姿について、内山さんはこれ以上踏み込んでいない。代わりに本書に付されているのが、「新しい共同体をめぐる対話」と題された対談集だ。その先は読者それぞれに開かれている、ということでもあろう。

いま、地域で活動をされている人たちはもちろん、「新しい公共」に関心を持たれている方にも、ぜひ本書を手にとってもらいたい。活動の刺激になるところが、多々あるはずである。

「共同体の基礎理論―自然と人間の基層から―」への4件のフィードバック

  1. このたびの、震災とその復興議論にも参照されるべきポイントを、指摘されていると思いました。

    雇用や産業だけを軸に復興が語られると、欠落する部分がある、とは比較的マスメディアでも取り上げれます。たとえば、「避難する場合、コミュニティ単位であったほうがいい」などの文脈の中で。

    ただし、そこでいうコミュニティが、実はそのコミュニティが拠って立っていた自然との関係性の中で形作られてきたというポイントを忘れてはいけない。そういうことではないのかな、と読んで感じました。

  2. もっひとつ。「これは神社を通した自然との関係(森の鎮守、豊穣の祭りなど)が、村の営みにとって不可欠だったからこそだろう。こうした側面は、欧米的市民社会におけるコミュニティ論からは見えない風景に違いない」。

    ここはただし、欧米だと、同じよう機能を教会が担っていた、また担っていると思います。そしてそのことは、それこそ「日本的カイシャ社会におけるコミュニティ論からは見えない風景に違いない」と考えます。

  3. ありがとうございます! なるほど、たしかにコミュニティの裏づけとして、「欧米だと、同じよう機能を教会が担っていた」はその通りですね。

    ただ、従来のコミュニティ論に自然との関係性は含まれていたのでしょうか。克服すべき対立軸としてはあったのかな。そのところ、もう少し、考えてみます。

  4. なるほど、それはキリスト教の自然観と、日本の土着神道の自然観との違いかも。
    そしてさらに追加。「生業(なりわい)」と「仕事(雇用者の労働)」の対比。農業、漁業、林業は「生業」で、製造業、サービス業が「仕事」なのと、なにか関係がありそうに思いました。
    小橋さんご指摘の「自然を含む「営み」として構築していけるかどうか」に引き寄せ、強引に結びつけると、東北復興は、そこに「生業」があるので、「きっと大丈夫」。ところが、仮に首都圏に同じ規模の地震が襲ったら、その復興は困難を極めるだろう、との推定につながるなあ、とも。

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