黒井城は甦るか

黒井城跡に関わり続けるという保全

 さまざまな要素を見合わせた結果、現時点では仮設階段を設けて遺構を保全する一方、登城者の動向を見て活用とのバランスを調整しながら調査計画を考える、というのがやむを得ない道なのかなとぼくは判断しています。

 それにしてもアルミは無いよな、とのご意見は分かります。予算や工法の関係からまずは仕方ないことと理解するしかないのですが、数年スパンでの撤去は難しそうな予感です。どうすれば良いでしょうか。

 予算の制約を超えるには、みんなで関わるしかなさそうです。幸い、地元には黒井城活性化委員会が立ち上がっています。そことも協力しながら。

 たとえば、みんなで塗装するというのは、方法のひとつです。とりあえずアルミの色だけでも塗り替えて、景観に少しでもなじむようにする。

 木質化するということも、できるかもしれません。仮設という前提なので、市として大きな予算はかけづらい。でも、仮にみんなで木材を持って上がり、協力して組み立てていくとしたら。
 安全性の担保など詰めるところは必要にしろ、決して不可能なことではないでしょう。今のアルミ階段を基礎として使う方法もあるかもしれません。

 近い将来的には、調査にどのように協力していくかという問題があります。一定程度の立入禁止への合意だとか。

 あるいは。

 仮に石段を修復したとしても、仮設階段を撤去すると、結局はまた踏み荒らされる状態になるわけで、そのままでいいかどうか、みんなで考えなくてはいけませんね。
 不便ですが、尾瀬のように、周遊ルートを限定する必要があるかもしれない。あるいは、みんなの知恵で、保全と活用を両立する全国的に注目されるような何かユニークな解決策を見いだせないか。

千年後の未来へ

 また、ぼくの中ではもう一つ、課題としていることがあります。

 それは、城下町の再生です。

 黒井城跡から下山して後、興禅寺周辺で「町ぶら」を楽しめたら、こんなにいいことはありません。昨年は飛騨高山でそんな町ぶらを楽しみました。

 そういえばもう15年あまり前になるかな、黒井商店街の空き店舗を借りて「かすが昭和館」と銘打ち、思い出の品々を展示するイベントを開催しました。
 その時の様子がこちら。

かすが昭和館(黒井にて、2004年11月)

 柏原での取り組みが参考になると思いますが、黒井の空き店舗を再生し、歩いて楽しむことができるようにしたいのです。
 カフェやお土産屋さんなど、何店舗かあれば楽しいな。そうすれば、観光客様にも喜んでいただけます。

 お隣の篠山は江戸の町ですから、丹波市に戦国の町があれば、エリア的な魅力も高まるのではないでしょうか。

 閑話休題。

 最後に、2018年11月24日、日の出前の黒井城(保月城)からの風景です。

 実は1018年11月23日(旧暦10月16日)は、藤原道長が満月を愛でて、

この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思へば

 と詠んだ日です。同じ満月が、夜を過ごし、西の空に沈んでいこうとしています。

 道長が愛でた満月から千年後の満月。「保月城」の石碑の左に浮かんでいるのをご覧いただけるでしょうか。

 今から千年後、月はやはり同じように昇り、沈んでいくことでしょう。保月城はそのとき、どんな姿でいることでしょう。

2018年11月24日 早朝 黒井城跡にて

“黒井城は甦るか” への8件のコメント

  1. たまたま、12月のはじめ、作業がはじまったころに登山しました。杭を打って、ロープを張るだけなのかな? それにしては、材料が多いな~?と何となくイヤ~な予感をもちました。丹波新聞のネットニュースを読んで、おったまげました!なるほど、ここまで工事を計画していたのか!と。正直行って、整備計画に沿って云々とありますが、ハッキリ大河ドラマえの思いが逆に出たような。大河では丹波が描かれるかどうかは未だ不明、とはいえ、黒井城、八上城などは登山者が増えているという実感があります。先般、八上城も山上の主郭部分の樹木伐採作業が行われ、眺望を確保されましたが、観光という視点から見れば道半ばでしょうか。また、黒井と八上を分断するという金山城でも山上の樹木伐採作業が地元有志の方々の頑張りで行われました。しかし、金山城の魅力である石垣が伐採された木々によって近づけなくなり、眺望だけがよくなったという結果になっています。そして、黒井城、遺構保全、安全確保などで止むを得ないのでしょうが、山城ファンの心に寄り添わない、あまりにも短絡的に過ぎる整備といわれても仕方ないでしょう。西ノ丸方面への整備であれば、よかったのですが残念と言わせていただきます。竹田城もさまざまな経緯があって、かつてのように城を歩き回ることはできなくなりました。しかし、アルミの梯子をかけてよしというようなことはやっていません。黒井城の整備やイベントなどに頑張っていらっしゃった皆さんのことを思えば、正直、複雑な気持ちです。役所が作業をした現在、もう元には戻らないのでしょうね。本当に惜しまれます。

  2. 田中さん、ご無沙汰しております。確かにすぐに撤去ということは難しいと思いますが、元に戻らないということは無く、相談の余地はあるところと考えています。ぜひみなさん一緒になって取り組んでいただきたいと思います。

    ひとつ言えるのは、あらかじめ予告し意見を聞いていたら、結果的にアルミ階段しか仕方なかったとしても、今回のような騒動にならなかったはずで、そのあたりの対話力は、丹波市当局あるいは教育委員会には欠けているとは言えるでしょうね。

    もっともそれはわれわれ議員にも言えることです。予算段階でここまで想像し、確認をして市民の方々にお伝え出来なかったのは、まだまだ足りていないと反省してもいます。

  3. この意見には、如何にも登山者が遺構を潰した様な書き方ですが、どうでしょう!雨風で崩れたのではないでしょうか。今回の工事は丹波市の中で黒井城跡の在り方を全体で考えなかった結果です。それにいくら調査しても史実に基づく復元は出来ない。と言う所から出発しないと思う。私は現状を資料に残して、これからの黒井城跡を楽しむことが出来るように考える方が良いと思います。

  4. ありがとうございます。当然ながら、風雪の影響はあるでしょう。登山者の影響の有無は事実をもとにするしかないので、ここでは留保します。念のために補足すると、ここで影響しているとしているのは、もちろん個々の登山者の行動ではなく、登山者の急増という現象です。それぞれの方にはぜひ今後とも登城をお楽しみいただければと思いますし、多くの方に360度のパノラマ雲海を体験いただきたいです。

    臼井さんのおっしゃるように、現状をいわば記録保存して、今後活用できるものとして遺構の改変を容認するというご提案は、方向性としてありうるものと思います。時代に合わせて変わっていくことこそ文化の本質というとらえ方も重要なので。ただ現状は、そこまでのコンセンサスが皆さんにあるとは言えないかなと。

    文化財は行政のものじゃなくわれわれ市民のものですので、ぜひみんなで議論して、今後の黒井城(及び城下町一帯)のあり方を共有できればと願っています。

  5. 小橋さん、ありがとうございます。色を変えるにしても、撤去は出来ないでしょうか。人1人通れるほどの、木造りの段又は階段石だけ、文化庁の許可を得て、組み直すか。取り払って、何もしない(崩落石の危険は現状では有りません)私は景観重視です。抗議のため階段は使用してません。北側からこれからは上がります。一度でも決まったら戻れない仕組みを変えるには、黒井城保護関係者の主導で、署名活動をして頂くしかないのでは。
    その方が市担当者、教育委員会の皆さんの困惑を救うのでは無いですか。民主主義は全てを救う優しさ無いと安倍型行政になります。

  6. 実際のところ、本来そのための仮設です。ただしすぐにでもというのは、正直無理かと。調査と石段の復元で十年くらいかかるのではないかとぼくは予想します。

    いっそ石段の復元はせず、恒久的に木製の階段をつけましょうという方針に転換した方が、時間的には早いかも知れません。

    取り払って何もしないというお気持ちも分かります。一方で登城者の安全や遺構の保全が重要という声もまた正論であり、何もしないというのは行政としてあり得ないかなと。特に黒井城を観光資源として活かしていこうと考えるなら、それを前提に(例えば年間十万人が登られても耐えられるように)何らかの対策が求められます。

  7. 新年に入ってまた不祥事か…。情けない。問題の職員には何人か上司がいるはず。業務が進まない、市民からのクレームたくさんあったのにほったらかしか。普通、仕事できない職員がいたら代わりの者がするでしょう。防げたはずよね。どいつもこいつも仕事してないじゃん。もしかして支払うふりして支払わず自分の懐に入れているのか。疑うよね。余罪調べたほうがよいかも。
    真面目に仕事しているのが馬鹿みたい。

  8. どうしたものかと非常に暗い気分になっています。警察の調べに移っているので詳細は分かりませんが、むしろ評判は悪くなく、何というのでしょう、周囲と潤滑に進めるために不正を重ねていたような印象です。

    個人の問題ではなく組織的問題ではないか、注視していきます。議会としても責任を感じます。

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