黒井城は甦るか

黒井城跡整備基本計画ってどんな内容?

 まずは基本となる『黒井城跡整備基本計画』です。

 丹波市では2016年から黒井城跡整備委員会を設置し、『黒井城跡整備基本計画』を策定してきました。
 2017年に黒井城跡を航空レーザ計測し、立体図を作成しています。

 黒井城跡って、単に主郭部だけではなく、北西の千丈寺砦や南東の的場砦など猪ノ口山系全体を城域としているところに特徴があります。
 これら一帯をレーザ計測し、整備基本計画策定の手がかりとしたわけです。計測をもとにした立体模型が春日住民センターに設置されていますので、ぜひご覧ください。

 そしてまた、黒井城は城下町も戦国の趣を残しています。これらを含めて、今後どう保全し活用し継承していくか考えようというのが、『黒井城跡整備計画』です。
 計画は文化庁の指導も得ながら、2018年に完成しました。ちょっと見づらいですが、全体像を引用します。

黒井城跡整備計画 一覧表

 短期は5年程度、中期は10~15年が目安と考えていただければ良いと思います。

 登城路の整備やベンチや案内板の設置など登城者の安全性や利便性を向上させるとともに、石段を復元、石垣も補修したいという計画です。

 ただ、現時点ですでに計画からずれが出てきています。整備計画策定後に『麒麟がくる』が決まり、環境が大きく変化してしまったことが影響しています。

 具体的には、今年度から5か年の整備予定で総額1億7,910万円ほどの予算が計画されています。しかしそこでは、今年度の仮設階段など遺構保護工事(約1,750万円)と、2021年度と見込む登山道途中の巨石の崩落対策(1億円程度)が主となっており、石段や石垣まで手が回っていないというのが実際です。

 石段や石垣の修復はどこへいってしまったのでしょう。
 このあたり、どんな遺構でも抱える悩みかと思いますので、そのずれを生じさせているジレンマを次に整理しましょう。

すぐにでも修復工事に入れないのか?

 黒井城跡が貴重な遺構であることは皆さんご存知の通りです。
 一般の「文化」は時代とともに変化するものですが、遺構のように「財」となった文化は、その「財」を往時の姿のままにとどめることが求められます。現代人が勝手に手を加えて改変することは許されません。私たちが先祖から預かった状態のまま、子孫に継いでいかなくてはならないのです。

 国指定だから手を入れられないというご意見も聞きますが、仮に指定がなくても、「改変する」ことを良しとするかどうかと問いかけるなら、結果に違いはないでしょう。

 それでも、「財」は経年劣化します。現代人に許されるのは、時間がもたらしたその劣化を修復し、往時の姿に戻すことだけです。絵画の修復や、先の姫路城の修復がそうであったように。

 ですから修復を行うには、往時の姿を知らねばなりません。そのために行われるのが、遺構を発掘したり文献にあたったりする調査です。
 黒井城跡の場合、文献は揃っていませんし、発掘などの調査もまだ行われていません。石垣の積み方を記したカルテもできていません。

 一方で、多くの登城者でにぎわうようになったことで、石段が崩れてきたり、遺構の表土が裸地化するなど、崩壊が加速しています。
 このままでは、往時の姿がどのようであったか知る機会さえ失われるかもしれません。修復するためにも調査が必要です。

 すぐに修復にかかれないのには、そんな事情があります。

すぐに調査に入れないの?

 では調査をすぐにでもできないか。

 ここが難しいところで、調査をするには一定期間、城域を立入禁止にしなくてはなりません。しかし一方で、黒井城跡は有数の観光資源であり、文化財を「活用する」という目線からの配慮も求められます。

 そう、現代において文化財はただ保護するのではなく、活用することも求められる時代です。

 現実的に考えて、『麒麟がくる』をはじめとする現在のブームをふまえると、現時点で黒井城跡を立入禁止にすることは、みなさんの理解を得られないでしょう。

 『麒麟がくる』が終われば、あるいは(竹田城がそうであるように)入場時期を限定するような相談ができるようになるかもしれません。エリアを順番に絞りつつ立入禁止措置することも考えられるかもしれません。
 その時には、調査計画も立てられるようになるでしょう。

 しかし現時点では今後登城者がどう推移するかも見込めず、本格的な調査について検討しようにもできそうにないですね。
 ということはつまり、整備基本計画では短期的な予定にしていた石段等の修復工事についても、目途を立てられない状況であるわけです。

 調査計画については、今後地元等との協議もしつつ、進められます。

最終的にどこまで復元できるの?

 仮にその後調査ができて、修復に入れるようになったとしましょう。

 では、どの程度の修復ができるのでしょうか。全部の石垣が復元できたらすごいなぁと夢見たりもしますよね。いっそ、お城も再建できないかとか。

 先に述べたように、改変しないことを前提とするなら、図面等が無い以上、現在は失われた石垣の復元や城の再建は難しいと言わざるを得ません。

 仮に国の指定が無く、自由に手を加えられたとして。現代の目線で「推定(捏造)」して石垣や城を復元したとして。
 将来の人たちはその行為をどのように見られるでしょうか。

  • 「あの時代の人が経済的利益を考えてむちゃくちゃにした」
  • 「時代時代の考え方で再生して今につないでいる」

 どちらの考え方も成り立つかもしれません。しかし現時点では、改変するまでの共通理解は得られていないと考えます。まだまだ議論が必要なところです。

 もうひとつ。現実的な問題として、工法や予算のことがあります。

 現在崩れかけている石段については、発掘調査などを経て、一定程度修復できるでしょう。そうなれば、仮設階段は必要なくなります。

 一方で石垣はなかなか難しいだろうなと思ってもいます。カルテがまだないということで、まずそこに時間がかかる。その上で、仮に予算的に目途がたったとして、大型機械を持ち込めませんし、工法的に可能かどうか。
 石垣の修復は、けっこうな難題ではないでしょうか(よく分かりませんが)。

 以上が、黒井城保全と活用をめぐる難しさです。

 では、今、何ができるでしょうか。最後にこの点について、次のページで考察します。

“黒井城は甦るか” への8件のコメント

  1. たまたま、12月のはじめ、作業がはじまったころに登山しました。杭を打って、ロープを張るだけなのかな? それにしては、材料が多いな~?と何となくイヤ~な予感をもちました。丹波新聞のネットニュースを読んで、おったまげました!なるほど、ここまで工事を計画していたのか!と。正直行って、整備計画に沿って云々とありますが、ハッキリ大河ドラマえの思いが逆に出たような。大河では丹波が描かれるかどうかは未だ不明、とはいえ、黒井城、八上城などは登山者が増えているという実感があります。先般、八上城も山上の主郭部分の樹木伐採作業が行われ、眺望を確保されましたが、観光という視点から見れば道半ばでしょうか。また、黒井と八上を分断するという金山城でも山上の樹木伐採作業が地元有志の方々の頑張りで行われました。しかし、金山城の魅力である石垣が伐採された木々によって近づけなくなり、眺望だけがよくなったという結果になっています。そして、黒井城、遺構保全、安全確保などで止むを得ないのでしょうが、山城ファンの心に寄り添わない、あまりにも短絡的に過ぎる整備といわれても仕方ないでしょう。西ノ丸方面への整備であれば、よかったのですが残念と言わせていただきます。竹田城もさまざまな経緯があって、かつてのように城を歩き回ることはできなくなりました。しかし、アルミの梯子をかけてよしというようなことはやっていません。黒井城の整備やイベントなどに頑張っていらっしゃった皆さんのことを思えば、正直、複雑な気持ちです。役所が作業をした現在、もう元には戻らないのでしょうね。本当に惜しまれます。

  2. 田中さん、ご無沙汰しております。確かにすぐに撤去ということは難しいと思いますが、元に戻らないということは無く、相談の余地はあるところと考えています。ぜひみなさん一緒になって取り組んでいただきたいと思います。

    ひとつ言えるのは、あらかじめ予告し意見を聞いていたら、結果的にアルミ階段しか仕方なかったとしても、今回のような騒動にならなかったはずで、そのあたりの対話力は、丹波市当局あるいは教育委員会には欠けているとは言えるでしょうね。

    もっともそれはわれわれ議員にも言えることです。予算段階でここまで想像し、確認をして市民の方々にお伝え出来なかったのは、まだまだ足りていないと反省してもいます。

  3. この意見には、如何にも登山者が遺構を潰した様な書き方ですが、どうでしょう!雨風で崩れたのではないでしょうか。今回の工事は丹波市の中で黒井城跡の在り方を全体で考えなかった結果です。それにいくら調査しても史実に基づく復元は出来ない。と言う所から出発しないと思う。私は現状を資料に残して、これからの黒井城跡を楽しむことが出来るように考える方が良いと思います。

  4. ありがとうございます。当然ながら、風雪の影響はあるでしょう。登山者の影響の有無は事実をもとにするしかないので、ここでは留保します。念のために補足すると、ここで影響しているとしているのは、もちろん個々の登山者の行動ではなく、登山者の急増という現象です。それぞれの方にはぜひ今後とも登城をお楽しみいただければと思いますし、多くの方に360度のパノラマ雲海を体験いただきたいです。

    臼井さんのおっしゃるように、現状をいわば記録保存して、今後活用できるものとして遺構の改変を容認するというご提案は、方向性としてありうるものと思います。時代に合わせて変わっていくことこそ文化の本質というとらえ方も重要なので。ただ現状は、そこまでのコンセンサスが皆さんにあるとは言えないかなと。

    文化財は行政のものじゃなくわれわれ市民のものですので、ぜひみんなで議論して、今後の黒井城(及び城下町一帯)のあり方を共有できればと願っています。

  5. 小橋さん、ありがとうございます。色を変えるにしても、撤去は出来ないでしょうか。人1人通れるほどの、木造りの段又は階段石だけ、文化庁の許可を得て、組み直すか。取り払って、何もしない(崩落石の危険は現状では有りません)私は景観重視です。抗議のため階段は使用してません。北側からこれからは上がります。一度でも決まったら戻れない仕組みを変えるには、黒井城保護関係者の主導で、署名活動をして頂くしかないのでは。
    その方が市担当者、教育委員会の皆さんの困惑を救うのでは無いですか。民主主義は全てを救う優しさ無いと安倍型行政になります。

  6. 実際のところ、本来そのための仮設です。ただしすぐにでもというのは、正直無理かと。調査と石段の復元で十年くらいかかるのではないかとぼくは予想します。

    いっそ石段の復元はせず、恒久的に木製の階段をつけましょうという方針に転換した方が、時間的には早いかも知れません。

    取り払って何もしないというお気持ちも分かります。一方で登城者の安全や遺構の保全が重要という声もまた正論であり、何もしないというのは行政としてあり得ないかなと。特に黒井城を観光資源として活かしていこうと考えるなら、それを前提に(例えば年間十万人が登られても耐えられるように)何らかの対策が求められます。

  7. 新年に入ってまた不祥事か…。情けない。問題の職員には何人か上司がいるはず。業務が進まない、市民からのクレームたくさんあったのにほったらかしか。普通、仕事できない職員がいたら代わりの者がするでしょう。防げたはずよね。どいつもこいつも仕事してないじゃん。もしかして支払うふりして支払わず自分の懐に入れているのか。疑うよね。余罪調べたほうがよいかも。
    真面目に仕事しているのが馬鹿みたい。

  8. どうしたものかと非常に暗い気分になっています。警察の調べに移っているので詳細は分かりませんが、むしろ評判は悪くなく、何というのでしょう、周囲と潤滑に進めるために不正を重ねていたような印象です。

    個人の問題ではなく組織的問題ではないか、注視していきます。議会としても責任を感じます。

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