学術的な冷静な視点と、ジャーナリストによる現場の熱い空気が、よい混合をみせている。地域問題を考える人は必読。
ここには、数多くの「生きていけない現実」がある。
現実に押しつぶされるような感覚というのは、こういう感覚を言うのだろうか。
しかし本書は、その現実に対して、ただ苦しいと報告するだけではない。
ひとつの統一した視点のもとで、この現実を招いた構造を照らし出す。
それは、こういうことだ。
今起こっている「生きていけない現実」は、直接的には、小泉「構造改革」によって引き起こされている。しかし、小泉政策を批判して済む問題ではない。小泉改革は、以前から日本の政策に影響を与えてきた「新自由主義」を押し進めたものだから。
そしてその起源は、中曽根政権期の「行革」「民営化」路線に行き着くという。
つまり、ぼくたちは、今起こっている現実を問題にするとき、この四半世紀の日本の政策そのものを問わなくてはいけないのだ。
「新自由主義」的な方向を極論すれば、「住めないなら住みやすい地域に移ればいい」である。その方が効率的に自治体が経営されるし、自治体間の競争もはたらく。
ぼくたちの多くも、競争原理の上に成り立つ市場優先の消費社会に生きているから、これに対して、それもそうだね、と思いがちなのではないか。
根は深い。新自由主義的な言説が日常の基本にあるから、本質を見出しづらいのだ。「無駄な道路を作るな」と言われて、反論できる人はそういない。
そこで。真実を見つけるために、著者らは地域に取材する。
夕張の破綻から本書は始まる。「官による観光事業の甘さ」が原因といわれる破綻はしかし、根はそれほど単純なものではない。
もちろん市当局にも問題はある。しかし、なにより夕張が、一時期自治体経営の成功モデルとしてもてはやされていたのを、ぼくたちは知っている。
しかしその内部では、民間企業が経営破たんするたびに、債務を市に付け替えるという構図があった。苦しくなるたびに夕張市に「追い貸し」を続けた金融機関や道庁や国の姿勢があった。
その上で、自己責任として投げ出され、市民に負担がしわ寄せされる。なんとも暗鬱たる気分になる。
篠山市の事例も挙げられている。合併の先進地として多くの視察が訪れた篠山市は今、合併特例債からくる厳しい財政負担にあえいでいる。
その原因には、甘い将来予測人口にもとづく計画があったのは事実。しかし、合併を促進させるために行われた政府による誘導策が問われることはない。国の姿勢という、大きな問題点に切り込まず、ただ地方自治体の努力に帰してしまっていいのだろうか。
他にも力のこもったルポが続く。
自立支援といいつつ自立を支援できない介護保険。原発から離れられない街。地域医療の崩壊。大規模化が解決策のようにあおる農業。
それで。
いや、残念ながら、それで、に続く現実はない。
このままだと、地域は崩壊する。
しかし、それが国の問題だと、どれほどの人が実感しているか。それどころか、政府対地域と単純な対立に置き換えて理解さえしてしまいかねない。
どちらが優先するかではなく、地域のあり方がまさに国のあり方であるのに。
ぼくたちは、どうする?