構成がとても親切。
第一章で、ぼくたちは「新しい世界モデル」が必要とされるようになった時代背景を知る。第二章は「新しい世界モデル」についての概説だ。
続くいくつかの章で、ぼくたちはそのモデルが生まれたときのことや、さまざまな分野での実例を知る。そして最後の二章は、もう一度鳥の目になって、「公共哲学」についての概説をおさらいし、最後に日本の状況を知る。
では、「新しい世界モデル」とは何だろう(第二章から拾ってみよう)。
それは、世の中の合意形成についてのモデルだ。長坂寿久さんが考える新しい世界モデルとは、政府と企業とNGOの3つのセクターが相談して行われる合意形成のこと。実態的形成まではまだ長い時間が必要だろうと見積もりつつ、いまその萌芽が見られると長坂さんは言う。
ちょっと振り返ってみる(第一章が便利だ)。
世界モデルにおける合意形成は、これまでずっと国家によって行われてきた。国際的な意思決定は国家間の交渉によって成る。
そこにグローバル企業が登場し、企業による意思決定で動くグローバルな経済社会が登場する。
でも、WTOの交渉がNGOの動きに影響されたように、最近ではNGOのパワーが無視できない規模に育ってきた。
NGOによる活動は、ただグローバル経済に反対するというものではない。未来を見据えた政策提言をできることが、NGOの魅力だ。
地球温暖化問題の国際会議に現れているように、国家間による交渉は、時として未来への視野を欠きがちになる。だから、未来への視座を導入するために、国家がNGOの協力を得ていくことにメリットがある。ことは企業においても同じ。
こうして今、合意形成の場にNGOのはたらきも加えようという考え方が浸透してきている。
シドニー・オリンピックが「グリーンゲーム方式」で行われていたって知っていた? 恥ずかしながら、ぼくは知らなかった。環境に配慮したという事実は知っていたけれど、その背景に、行政と企業、NGOが対等なパートナーシップで話し合い、協働して「環境ガイドライン」を作っていたなんて知らなかった。
長坂さんによれば、日本では「グリーンゲーム」について報じられることはほとんどなかったというから、知らなくても仕方なかったのかもしれない。
でも、こうして国際的な実績があったとぼくたちが知っていれば、今からでも遅くない、みんなが理解を深めれば、今まさに進もうとしている東京オリンピック誘致計画だって、少し形の違ったものになるんじゃないか。リサイクル都市江戸を持ち、平和憲法を持つ日本ならではの計画を、「新しい世界モデル」のもとで作り上げられるのではないか。
終盤で触れられる「公共哲学」のもんだいは、こうした気運を日本で盛り上げるためにも重要だ。
それというのも、日本では「公共」という言葉を、ときに「政府」の領域と考えがちだから。「官から民へ」なんて掛け声が目立った「改革」もあったけど、もう一極としてあるべき「公共」がすっぽり抜け落ちてしまっている。
官から民へという掛け声が意味する「民」って、結局は競争原理のはびこる経済社会、つまり「企業」の世界だけを意味していたわけだしね。
なぜ日本人が、かくも二元論(公と民の)になってしまったのか。ぼくたちはあらためて問わなくてはならない。
現代の日本では、ミーイズムとナショナリズムが一直線でつながってしまう。その間にあるべき豊穣な郷土愛=パトリオティズム=と呼ぶべきものを、なぜぼくたちは失ってしまったのか?
この時代に生まれてきた、NPOやNGO、任意団体をはじめとする、「共」の領域について、ぼくたちはあらためて意識しなくてはならない。
トクヴィルやハーバーマスというと難しいなあ、と思う人たちも、本書からなら、具体的に「公共」を実感できるんじゃないか。
新しい世界モデルを担うのは、ぼくたちだ。ぜひ、一歩踏み出そう。