平成の丹波地域を振り返る(2)

(前回「平成の丹波地域を振り返る(1)」から続きます)

軌道に乗った市民活動

ぼくは、平成十四年(2002年)に丹波市にUターンしました。

Uターンと前後して、ぼくは地元の経営者とともに「シフトアップかすが」という地域情報化を進めるプロジェクトを始めたり(平成十三年)、地元集落で「里山ウォークデイ」を開催し「中山の歩き方」と題した集落本を出したり(平成十四年)、平成十八年(2006年)の「道の駅丹波おばあちゃんの里」開設に向けて市民から提案していこうとする活動に関わったりしました。

いずれも、従来から積極的に地域に関わってこられた先輩や仲間に恵まれてのこと。こうした方たちとともに地域での活動をスタートできたことは、ぼくにとって幸運でした。

この時期は、ほんとうに多くの「市民活動」が生まれた時期です。

平成十五年(2003年)バイオマスフォーラムたんば鴨庄ふれあいバス、平成十六年(2004年)神楽の郷福田おいやか村、平成十八年(2006年)たんば田舎暮らしフォーラム実行委員会Tプラス・ファミリーサポート、平成十九年(2007年)県立柏原病院の小児科を守る会循環型まちづくりネット企業組合つたの会、平成二十年(2008年)奥丹波蕎麦人会丹波医療再生ネットワークなどなど。

今振り返れば、当時に生まれた活動は、油の回収だったり、移住促進だったり、子育て支援だったり、地域課題に即したものが多かったように思います。逆に言えば、地域課題の見える化が進んだ時期と言えるのかもしれません。

インターネットの衝撃

ここでインターネットについても触れておきましょう。実はぼくが2002年の帰郷と前後してスタートした「シフトアップかすが」は、当時ブロードバンドが無かった状況に、なんとか田舎でもブロードバンド化を進めたいと、そんな思いもあってスタートしたのでした。結果的に「田舎BB」というADSLによるブロードバンドを実現し、「田舎TV」という地域市民発のコンテンツサイトを立ち上げたりもしました。

その後、ソーシャルメディアの時代が来るのですが、その普及は、市民活動に大きな影響を与えました。

平成二十年(2008年)にはツイッターの日本版が登場します。丹波地域でも利用者が増えていき、ぼくも「つながる」魅力に目覚めました。この魅力を多くの人に知っていただきたいと、平成二十二年(2010年)3月に丹波新聞社さんとともに「Twitter入門講座」を開催したりしたものです。

現在の丹波地域ではFacebookの活用が盛んですが、Facebookの浸透は、Twitterより少し遅れて、平成二十三年(2011年)頃からでした。当時、商工会などでFacebook講座を行ってお薦めしたりしていました。特に、平成二十四年(2012年)の6月にFacebookグループにファイル共有機能が加わってからは、より便利になって活用度があがりました。今では丹波地域で市民活動をするには不可欠のツールと言っていいでしょう。

市民同士の交流へ

インターネットによって他の活動とつながっていくと、そうしてつながった人たちとリアルの場でも意見交換できる場が欲しいという思いが芽生えます。そこで、平成二十二年(2010年)に「哲学カフェ」を始めました。時を同じくして「朝読書会」も始まっています。市民同士が意見交換する「カフェ的」な場が求められた時期だったと言えるでしょう。

平成二十三年(2011年)は東日本大震災のあった年です。この頃から、若い移住者が目立ち始めました。あらかじめ作られていた「カフェ的」な場は、そうした移住者が人に出会っていく装置として、少しは役立ったのではないかと思います。

平成二十四年から二十五年にかけては、そうした移住者が住むシェアハウスが、丹波市で多く生まれました。「とにかく来てみたら」と声をかけられる環境が整いました。

ぼくが移住者ばかりが働く会社「株式会社ご近所」を創業したのもこの頃(平成二十四年設立、本格稼働は平成二十五年)です。平成二十四年(2012年)に大阪でスタートした「ローカル・キャリア・カフェ」に多くの若者が集うのを見て、移住者ばかりの雇用も可能と実感してのことでした。

当時、ご近所やシェアハウス「みんなの家」でのセミナーや、丹波市の「地域プロデューサー養成講座」に多くの移住者が集い、熱気が充満していたのを思い出します。

平成の先に

その後、当時移住してきた人たちを中心に、今、多くのイベントが行われています。そのあたりについては、以前「2010年前後の丹波市で起こったこと」として書いたので、ご参照ください。

一方で、活動が細分化され、交流の場が無いという声も出ています。また、平成の前半を支えて来られた先輩方の市民活動は、比較的地元の方が始められたものが多かったですが、そうした先輩方と今のプレイヤーをつなぐともしかするとおもしろい化学反応が起こるかもしれません。

丹波市では2019年、市民活動を支援する拠点が開設される予定です。今、あらためて平成の丹波地域の市民活動を、市民みんなで振り返ることで、平成の先の市民活動のあり方を描くことができるのではないでしょうか。

こんな思いを共有いただけましたら、「激動の平成~そのとき「たんば」は動いた~」と題する、先輩方から学ぶトークセッションにご参加いただければと思います。

平成の先の丹波地域。みなさんで描きませんか?

「平成の丹波地域を振り返る(2)」への2件のフィードバック

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