平成の丹波地域を振り返る(1)

平成が終わります。

丹波地域にとって平成時代とはどういう時代だったのでしょうか。

残念ながら、ぼくはそのすべてを実体験として知っているわけではありません(前半三分の一は帰郷前でした)。それでもお許しいただいてぼくなりの視点でこの平成時代を振り返るなら、丹波地域にとってそれは「市民の時代」であったと表現したいと思います。

篠山市が誕生したのが平成十一年(1999年)、丹波市が平成十六年(2004年)。ですから言葉上、この地域の住民が「市民」となったのは平成のことです。しかしここでいう「市民」は違った意味で用います。「市民社会」の構成員としての「市民」です。

新しい市民社会

ところで、この時代に新しい「市民社会」観が生まれたのは、丹波地域に限った話ではなく、全国的な流れです。旧来、「政治社会(国家)」に対して「市民社会」を言う場合、人々が経済活動を営む、いわば商業社会、資本主義社会を意味する部分が大きかったようです。

それが、ちょうど平成に入った頃から、経済や政治とは独立したものとして市民活動が存在すると認識されるようになりました。平成七年(1995年)の阪神淡路大震災では、市民同士の助け合いに注目が集まりました。この年は、後に「ボランティア元年」と称されるようになります。

この流れを受けて、平成十年(1998年)にNPO法が制定されています。その頃から、「公」と「私」の二分論ではなく「共」があるという考え方が広まり、「協働」という言葉が用いられるようにもなりました。

丹波市においては、商業社会的な意味での市民の動きとしては、平成四年(1992年)に春日にアルティが、また平成八年(1996年)に氷上にゆめタウンが開業しています(平成が終わろうとしているこの時に、アルティが閉店してしまったのは感慨を覚えざるを得ません)。

一方で新しい市民社会の動きとしては、丹波地域は時代の先端をいっていたのではないかと感じる動きがありました。

丹波の森とともに

丹波地域の平成時代は、「丹波の森構想」とともに始まりました。昭和六三年(1988年)、住民代表による「一〇〇人委員会」によって「丹波の森宣言」が起草され、平成元年(1989年)、「丹波の森構想」が提案されました。

時代はバブル期。40代後半以降の方なら、昭和六三年に開催された北摂・丹波の祭典「ホロンピア88」の賑わいを懐かしく思い出されるのではないでしょうか。そんな時代に、市民の手で地域をつくろうとする動きが、丹波地域では生まれていたのです。

構想に基づく具体的な動きは、当初は公的なものが多かったようです。

平成三年(1991年)のふるさと桜づつみ回廊、平成五年(1993年)のさんなん仁王駅、六年(1994年)の丹波悠遊の森などの整備、また平成七年(1995年)のシューベルティアーデたんば開催などがそうです。

そうした中、平成二年(1990年)には「森のムッレ教室」や「東芦田村おこしの会」、平成六年(1994年)には「清住コスモスまつり」など、市民発の活動も増えていきます。
平成十三年(2001年)にはいちじま丹波太郎たんばぐみなどのNPOが設立され、同じ年に地域通貨未杜の活動も始まっています。

そして平成十四年(2002年)には創作オペラ「おさん茂兵衛」の上演が実現しています。こうした背景には平成十一年(1999年)に兵庫県丹波県民局の呼びかけで始まったビジョン委員会の活動など、行政との協働の効果もあったことと思います。

ぼくが丹波市にUターンしてきたのはまさにこの頃、平成十四年(2002年)のことでした。その後、こうして生まれた市民活動が横につながり、大きなうねりとなっていくのですが、その話は次回「平成の丹波地域を振り返る(2)」で。

補足

市民社会という言葉は、1920年代、マルクスの翻訳書の中で初めて登場しました。言葉のニュアンスとしては、ブルジョア社会、資本主義社会的な意味合いだったそうです。

一方で、1940年代にはアダム・スミスの翻訳の中で、こちらは英語のcivil societyの訳語として使われます。ただし、スミスはcommercial societyとして使い分けている「商業的社会」の概念を含んだものとして、日本では受容されていたようです。

その後、1950年代から60年代にかけてのマスメディアの発達とともに、「大衆社会」という言葉が浸透し、「市民社会」はやがて、国家の中で憲法が保証する権利を個人が行使できる社会くらいの意味になっていったのでした。

現代につながる「市民社会」は、1990年代の東欧革命のなかで定着していきます。たとえばハーバーマスは、さまざまな市民団体が討議の場となり、政治参加していく姿を市民社会ととらえました。

【参考文献】

  • 植村邦彦『市民社会とは何か』平凡社2010年
  • 松下啓一『市民協働の考え方・つくり方』萌書房2009年

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