2010年前後の丹波市で起こったこと、私的雑感

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昨日の投稿に関して、少し補足を。

引用した2014年1月の投稿で、途中、ティッピングポイントという表現をしています。徐々に動いていたものごとが、ある境界を超えて急激に大きな動きとなるポイントのことです。市内における市民主導の活動が、ティッピングポイントを超えてきたと、当時のぼくには思えていました。
あるいはあの時期は丹波市の転換期であったかもしれないので、ぼくの目に映っていた風景を時系列で簡単にメモしておきたいと思います。

2008年7月(それ以前の動きは省略します)。「ふるさと丹波市定住促進会議」の委員となり、さっそく『丹波から、挑む。』としてチャレンジする若者を呼び込むキャンペーンに着手しました。志を同じくする民間委員さんとともに、自分で職を作るような若者を呼び込むことに力を入れようと意気投合したのでした。
もっとも、さっそくこの年実現した、慶應義塾大学ビジネススクールと共催してのオンラインスクール「地域起業家養成研修」では、わずか3名の受講生を集めるのにも苦労しました。「挑戦したい」という若い人たちのコミュニティが、市内では形成できていなかったのです。今では信じられないのですが、だからこそ、記しておきたいと思います。

2009年は、引き続き定住促進会議を母体に「地域起業家養成研修」を開催、独身男女が田植えから酒造りまでを一緒する「恋の酒プロジェクト」を開催したりしました。
個人的には、地元でのこども園設立(保育園と幼稚園の統合)に関わる一方、春日町森林同好会の方と一緒に山整備にあたり、その方々にも協力いただいて園舎のそばに「大路こどもの森」を整備したりした年でした。

2010年。10月に友人3名と「たんば哲学カフェ」を主宰。月1回平均で、2013年6月にかけて断続的ながら二十数回。
開催を決断した背景には、さまざまな市民活動が増えてきたなか、人と人が交流する場を作りたいという思いがありました。時を同じくして「朝読書会」が始まったことを思えば、いわゆる「カフェ的」な場が求められる頃でもあったのでしょう。

この年になってカフェ的な場の必要性を感じたということは、前年までと変わり、こうした場に一定の人数は集まるという手応えを持っていたということでもあります。
2010年当時よく利用していたのはTwitterだったのですが(facebookは登録したという程度)、徐々に「つながり」を感じるようになっていたということかもしれません。
その頃ぼくの目に映っていた市民活動は、たとえば次のような団体でした。

奥丹波蕎麦人会、県立柏原病院の小児科を守る会、丹波医療再生ネットワーク、丹波有機農業研究会、関西大学佐治スタジオ、NPOサウンドウッズ、循環型まちづくりネット、草莽塾、ダントツ経営☆戦略実践会、たんば・田舎暮らしフォーラム実行委員会、NPO法人丹波里山くらぶ、NPO法人丹波まちづくりプロジェクト(地域通貨未杜)、NPO法人いちじま丹波太郎、NPO法人Tプラス・ファミリーサポート、森のムッレ協会、NPO法人バイオマスフォーラムたんば(里山ごんげんさん)、東芦田まちづくり協議会(セツブンソウ祭他)、ひょうたん会、NPO法人ほっと丹波、氷上町東地区国際交流協会、春日のクラフト作家たちの連携、その他。

もちろん、これらの活動は従来からの活動だったのですが、それらの間で「つながる」という思いをリアルに感じ始めたという点では、あるいはこの頃が転換点であったかもしれません。

2011年。先にあげたような比較的古くからの活動に加えて、「歌とピクニック」が開催されたり「農業グランプリ」がスタートしたりして、新しい市民活動が目に見えて増えてきた年だったように思います。東日本大震災があって、移住を希望される方が増えた年でもありました。
ぼく自身は、前年秋に立ち上げたNPO法人北近畿みらいの事務局長として、新しく社員も雇用し、綾部市、福知山市、豊岡市、篠山市などとの連携事業に走り回りました。
またこの年、丹波市でコミュニティFMを実現しようという研究会がスタートしました。定住促進会議では「古民家劇場」と銘打って空き家活用事業を立ち上げました。

あくる2012年。「グライネ」による若者意見交換会や「丹波ハピネスマーケット」「ローカルキャリアカフェ」などが始まりました。
地元小学校区では、NPO法人北近畿みらいで主催した「半農半Xツアーin丹波市」をきっかけに「大路未来会議」を結成。
実は株式会社ご近所の設立もこの年のことで(本格的な活動は翌年から)、当初はコミュニティFMの運営母体と考えていたのですが、これは後に断念しました。(その後NPO法人コミュニティ・ネットワークが設立されて実現しました。)

丹波市からの委託を受けて「地域プロデューサー養成講座」を開講。ここ1、2年の新しい動きに関わっている人たちが多く参加、さらに連携を広げるきっかけになりました。
また、丹波市の「地域資源活用懇話会」の会長を務めさせていただいて、民間委員さんと知恵を絞ったのですが、これは後に新生「ご近所」の方向性を定めるのにおおいに役立ちました。
篠山市での神戸大学フィールドステーションを中心にした「Lural Learning Network(るーらん)」という学びの場開設に関わったのもこの年のことです。
また、旧知の友人を訪ねて隠岐諸島の海士町を訪問、若者の移住が増える現地の様子を視察し、「やっぱり人が人を呼ぶんだ」と割り切ったのも2012年でした。

そして2013年。前年から進めていた大路こどもの森のツリーハウスが完成し、大路未来会議を母体にシェアハウスができるなど、地元でもにぎわいが本格化、4月からは森を舞台にした「あそびの学校」も実現しました。
少しだけ遡って2012年後半から2013年初頭にかけては、「cafe ma-no」「みんなの家」など、今ではみなさんの交流拠点となっている場がオープンしています。
11月。方向性を大きく変えた株式会社ご近所に人を雇い入れ、オフィス物件も地元で見つかって、本格的に稼働を始めます。シェアハウスとして利用できる空き民家も運よく契約でき、移住者だけで立ち上げようと思いきれたのは、以上に述べたような「丹波に向かう人の動き」を実感していてこそでした。

2014年は、こうした熱気の中で、お正月を迎えたのです。

下記の写真は、2010年10月、哲学カフェ1回目の写真です。テーマはそのものずばり「哲学」でした。テーブル上には、各自が関連した書籍を持ち込んでいました。

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