本書では、端的にはそれは「構造特区制度」を意味している。
地域の主体から提案を受けつけ、それらは「価値がある」ものという前提に立ち、できない理由ではなく実現する方法を探るという基本で行われ、審査情報も公開していく。
その特区制度の特徴や、今後のあり方を探ったのが本書だ。
地域のあり方、ガバナンスについて興味を持ち始めたところだったのだが、どうも心に響かない。
なぜだろう。考えていて、気づいたこと。
それは、ぼくには行政のツボが見えていないという、この数年感じている思いだった。
ここしばらく、自治体に勤める人たちが多く参加するグループと、オフで話す機会がある。若い子が多いので、けっこう自由な話になる。
それが、ぼくには理解できないのだ。
特殊な世界だと言いたいわけではない。ただ、ほんとうに分からない。
専門的な話をしているわけではない。
たとえば民間企業の飲み会でいえば、「稟議書なんて?」とか「会議ばっかりでさ」とぼやく、そういうレベルの話なのだが、そういうレベルの話が、実感としてわからないのだ。
これはどういうことなのだろう。
自治体にどういう部署があるのか。これはわかる。
自治体がどういう仕事をしているのか。これもある一定レベルまではわかる。
自治体にどういう人がいるのか。これもまあ、わかる。
わからないのは、それらがどういう原理で動いているか、なのだ。
だから、特区制度が仮にほんとうにすごいとして、そのすごさがぼくには見えない。
現場からの政策決定というのが、これまでの行政のスタイルを根本から変える可能性があるということ。理念的にはわかる。わかるけれど、実感としてわからない。
たとえばね、消費者参加型の商品開発がやりやすくなったと。そのことが企業に与えるインパクトについては、ぼくには実感としてわかるし、同時に、その欠点も実感として見える。それが正しいかは別にして、この実感としてとらえられることは重要だ。
理念としては分かっても、実感としてとらえられないということは、「現場からの政策決定は重要だ」と理論的に説明されると、そのまま信じるしかないという危うさを持つ。
行政にとって本当に大切なことは何なのか。現場から、最終的には市民からの政策決定が行われるようにするとすれば、どこがツボなのか(市民による審議会とかとはちょっと違う気もしているのだ)。
明らかに今、市民と行政の間は遠い。行政も市民の中に入らなくてはならない、しかし市民もまた、行政に関わらなくてはならない。
田舎に帰って、行政との協働が増えた。そうした中で、それでもなお、ぼくには行政のツボが見えていない。
何よりも困っているのは、ツボが見えていないということが何を意味しているのか、今だにわからないのだ、ぼくは。