滑り台の上から、テレワークのことを考える

ここで紹介する原稿は、2000年の6月、『アスキー』というIT系雑誌向けに書いたコラムです。迎えた21世紀に向けた決意表明的な内容にもなっていますね。

2016年度、丹波市は総務省の「ふるさとテレワーク推進事業」に採択され、青垣にシェアオフィス空間を設置するなど、テレワークを推進し、若い世代の移住を進めようとしています。この夏までぼくが代表取締役を務めていた『株式会社ご近所』も、その種まきに関わらせていただきました。

テレワーク。実は20年前からずっと意識し続けてきたんです。それがようやく、市の規模で少しずつ進み始めました。まだまだ、これからですが。

というわけで16年前のこちらの原稿、当時のぼくの生活風景の一端と、ぼくが何を目指して、何のためにテレワークに取り組んでいるかを、そして田舎にUターンする目的も含めて、まとめています。

文中、創業した会社の名前だけは、仮名に修正しました。そちらの会社の経営からはずいぶん前に身を引いたので。(その会社は、後を託したメンバーと新しい協力者のおかげで、今では東証マザーズに上場し、時代の先端を走っています。)

(2019年追記)


生活の場、仕事の場


『月刊アスキー』2000年6月号

午後2時。子どもを連れて近所の公園へ行く。平日のこの時間は、あんがい人が少ない。何羽かの鳩と遊具が占領している公園で、子どもがまず向かうのは滑り台だ。階段をのぼり、上でしゃがみ込んで、しかし滑らない。ほんの1カ月前までは喜んで滑っていたのに。「いくで」とかけ声は勇ましいのに身体が動かない。もうすぐ2歳、少し恐怖心が芽生えてきたか。

そんな息子を見上げながら、頭の中は翌日にせまった雑誌原稿の締切のことが巡っている。テーマは決まっているけれど、書き出しが思い浮かばない。悩みながら、滑っておいでよ、と子どもに声をかける。子どもが背負っている日射しがまぶしい。ゆったりした子どもの時間と、自分が抱えている切迫感のアンバランスが、われながらおかしい。

そんな生活を、1年あまりにわたって続けてきた。HOWKSなんて造語を作って人に伝えてきたのでもある。Home Office With KidS、子どもを育てながらの在宅ワーク、とでもいった意味だ。妻は通常の会社員としてフルタイムで働いていたので、自然、日中はぼくが子どもの世話をすることになった。

ときに珍しがられたこともあったが、特別なことをしている気持ちはなかった。主夫などと表現されるととまどいもしたものだ。家庭生活の中で育児部分を分担している、たまたまそういうことだと思っていたから。

人はいつから家庭生活と仕事を切り分けて考えるようになったのだろう。たとえば狩猟生活の頃、生活することはすなわち仕事することではなかったか。

いや、それはいつから、という問題ではないかもしれない。農家に育ったから、父が働く姿は身近に見てきた。家のことを手伝う、という言葉は、仕事を手伝うことを意味していた。生活の場が仕事の場、仕事の場が生活の場であったのだ。こういう生活は現在においてもある。そう、いつから、というよりは、それぞれの仕事のスタイルにおける違いだろう。

では、いまぼくたちが身をおいているインターネット業界とやらはどんなスタイルか。ベンチャー企業で働いている人たちからは、ずいぶん忙しい日々を送っていると聞く。会社に連夜の泊まり込みなんてことも珍しくないようで。そういう人たちのおかげで、現在の活況が支えられているわけだし、ユーザに便利なサービスが生まれてくるわけでもある。

でも、とも思うのだ。

それって会社と家庭が切り離されているということなのだろうか。もしそうなら、そういうワークスタイルって、なんだか高度成長期の「仕事人間」を思い出させないだろうか。けっしてそれを否定するわけじゃなく、ありがたいと思っているのだけれど、一方で、もっと違うワークスタイルもあっていい気がするのだ。せっかく21世紀につながる「新しい」ビジネスをしているんだから、ワークスタイルにおいても、21世紀的な何かを生み出せないものかと。

インターネットビジネスに携わる人たちがある意味で24時間働けるのは、それが趣味とも重なっているからだろうし、とすれば、生活と仕事がもっと重なっていいように思う。家族か会社か、なんて選択じゃなく、どちらも満足いくまで堪能できる、そんなしくみはないものかと考えるのだ。

ビットバレーで働くのもいいんだけど、恵まれた自然の中で家族や地域社会と暮しながら、だけど会社に勤めてもいる。そんな日々もいいと思いませんか。

そんなことを考えているとき、縁あって東京の知人と新しく会社を設立することになった。D株式会社という。この原稿がみなさんの目にとまる頃には、無事設立されていることだろう。本社住所は東京。

といっても、ぼく自身は、現在住んでいる京都から東京に移住する予定はない。ないどころか、1年以内には田舎へUターンするつもりである。子どもが3歳になってものごころついたとき、最初の思い出が「車危ないよ」じゃ悲しい。「花きれいね」なんて思い出がいい。そう考えているから。

そう、新会社はある種のバーチャル・カンパニーである。ぼくも知人も、基本的には在宅をベースに活動する予定だ。D社として提供するサービスも、一般の会社員が会社というルートを通さずとも有益な情報を得られ共有できる、一種のナレッジ・マネジメントサービスを行なっていきたいと考えている。そういうサービスが存在すれば、ほかの人たちにとっても、少しは会社に縛られる時間が少なくてすむのではないか。そう考えてのことでもある。

ライフスタイルとワークスタイル。生活を楽しむことと仕事を楽しむことを一致させること。これまでひとりでやってきた小さな実験を、会社という組織に移して実験してみたい。そんな思いの一歩でもある。

まだ、海のものとも山のものともわからない。滑り台でいえばようやく上にのぼったという段階か。いま滑り出そうとしている会社、D社。それはおそれを知らぬ1歳数カ月の幼児の蛮勇か、おそれを克服した後の、3歳児の勇気か。着地まではまだまだ遠い。

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