未来への3つのタネ

(柏原ロータリークラブ 卓話 2019年4月12日)

 平成の時代は、丹波地域にとって暗い時代でした。災害も続きましたが、なにより地域から人が消えていった。

 未来に夢を持てた昭和時代は「ホロンピア88」(昭和63年)のにぎわいとともに終わりました。バブル景気もほどなく崩壊。
 平成の訪れとともに、丹波地域の人口は「自然減」、すなわち死亡者数が出生数を下回る時代に入りました。

 それでも平成最初の10年間(90年代)はまだよかったのです。転入が転出を上回る「社会増」の年が多くありました。
 平成10年代(西暦ゼロ年代)に入ると自然減、社会減の二重苦に陥り、平成20年以降(西暦10年代)に入ると自然減が増して加速しているのが現状です。
 丹波市の誕生が平成16年(2004年)のことですから、丹波市になってからはずっと人口減少が続いています。

 令和時代、この流れを逆転させるにはどうすればいいでしょう。

 高齢化は進みますから、自然減は免れません。人口を維持するには市内に雇用を作り、はたらきに帰ってくる人を増やすことで、社会増を図るしかありません。
 それが少子化対策にもなります。おとなりの福知山市の出生率は1.96です。全国で9位。長田野工業団地などの雇用の場対策が効いているようです。
 丹波市でできないはずがない。
 日本全体としてみれば、東京への一極集中は続いているものの、若者の地域志向が高まっています。追い風もある。

 そんなわけで、本日は令和時代に向けて明るい話題をと考え、丹波市の未来への「3つのタネ」を、ご紹介します。
 種じゃなくタネなのは、手品と同じく、ただ蒔くだけじゃなくタネも仕掛けも凝らさないと花開かないからです。

①ゲートウェイ観光戦略

 日本へのインバウンド観光客が増えています。これは世界的な傾向です。全世界で観光人口が増えている。近畿でも、京都、姫路、大阪、神戸、城崎、天橋立など、日本人はもとより外国人観光客でにぎわっています。
 丹波市は、近畿圏の主な観光地のちょうど中心に位置します。車があればどの観光地へも1時間から2時間でいける。観光カリスマの方に尋ねると、空港などでレンタカーを調達して旅行を楽しむ外国人は充分あるそうです。
 丹波市には観光資源が少ないと言われる方もありますが、こうした近畿の主要な観光地を訪問する滞在拠点として、あるいは立ち寄り点としてとらえるとどうでしょう。
 そうした方が有名観光地の合間にほっとくつろぐ、のんびり過ごす、そんな場所やサービスなら丹波市に多くあります。その視点からあらためて観光戦略を描けば、ビジネス・チャンスはたくさん転がっています。

②ウェルネス産業

 新病院の開院も間もなくです。丹波市立のミルネも、健康診断などでぜひ活用いただきたいと思います。
 いっそ丹波市内に泊まって健康診断を受けに来る、そんな人を受け入れてはいかがでしょうか。「ヘルス・ツーリズム」がいま、注目されています。
 最先端のIT企業では、社員向けに「マインドフルネス」と呼ばれる、瞑想のようなワークを取り入れることが、ここ数年目立ってきました。
 丹波市でもヨガなどをされる方が増えています。
 あるいは、ノルディック・ウォークやサイクリングのようなスポーツ、アロマセラピーなど癒し系の施術をされる方も増えてきました。
 東洋医術的な分野への注目も高まっていますから、山南町の薬草なども、漢方薬や薬膳など、本来ならもっと拡大できるはずです。
 さらには、有機野菜。有機というと難しいイメージですが、「オーガニック」と呼べばこれはおしゃれなスタイルです。環境を配慮したライフスタイルはこれから世界共通の目標ともなっていきます。
 そんな時代なのに、残念なことに丹波市民の野菜摂取量は全国平均より低いそうです。いっそサラダ・タウンと銘打って、オーガニック・サラダを市内のレストランで提供して摂取量の向上につなげてほしいものです。
 ともあれ、こうした健康分野からスポーツ、ヨガや座禅といったものまでを含めて、「ウェルネス」と呼ばれます。健康長寿へ向けて欠かせない分野です。
 丹波市ではこの分野の伸びしろがまだまだあります。現在は単発ですが、新病院の開院を機に、まずは病院一帯をモデル地域として、関連した取り組みを集積してはいかがでしょうか。
 健康になろうと思えば丹波市に来ればいいと、そんな認知を高めていくことにつながります。ウェルネス産業は今後、多くの雇用を生み出すことでしょう。

③農業イノベーション

 丹波市は農業のまちです。丹波ブランドも強い。
 実はそのことが逆に足かせになっていると、四万十栗を有名ブランドに育てた方が言われていました。四万十栗の勢いは今や丹波栗をしのぎます。
 四万十栗はブランドとして弱いため高く売れず、加工など工夫する必要があった。その結果が現在の位置を築いている。
 丹波市の農産品は、そのままでも高く売れます。だから農家もそのまま出荷する。結果として加工品が育たない。
 別の視点から見れば、仮にこれを加工して出荷するようになれば、何倍もの価格、つまり付加価値が添加される。そこに大きな雇用が生まれます。
 ですから消費者に対しては、丹波大納言小豆ではなく、丹波大納言小豆ぜんざいとして楽しんでもらう。丹波栗や黒豆ではなく、丹波三宝スイーツを購入してもらう。有機野菜ではなくオーガニック・サラダというのも一例です。
 農業を、生産ではなく食ビジネスとして転換していくこと。そこに、大きな余白があります。農業のイノベーションは、これからの丹波市にとって欠かせない、おおきな可能性を持つ課題といえるでしょう。

 以上、いつか令和時代の丹波市を振り返るとき、再生の時代であった、未来を拓いた希望の時代であったと言えることを願って、本日の卓話といたします。

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